時々、アメリカのこのような荒野に無性に身を置きたくなる。
50年も前、始めてアメリカを旅した時に
このような荒野を疾走するグレイハウンドバスの車窓から
目を離す事が出来なかった。
テレビで見ていた西部劇「ローハイド」や「ララミー牧場」の
荒涼とした世界が目の前を通り過ぎて行くのだから。
風に吹かれて転がるセージの丸い枯れ草を見て、
えらく遠くへ来てしまった事に心躍りながらも
人生のある覚悟のようなものを感じたりした。
旅の終着はニューヨークだった。
1年ほど写真を撮って過ごしたのだが、
ある新聞社から、始めて人類を月に送り届ける
アポロ11号の取材を手伝ってほしいと言う
願ってもないオファーだった。
勿論 日本からやって来るカメラマンの助手の仕事だ。
ヒューストンではモーテルの部屋を3部屋借り切って
ひとつを暗室に改造した。
カメラマンの撮ったフィルムを現像したり、
撮影済みのカラーフィルムを日本に送るために空港へ行ったり
NASAへ撮影に出かけたりと忙しい毎日だった。
打ち上げが迫ると仕事場はフロリダのケープカナベラルへと移った。
打ち上げ当日 私はカメラに800ミリの望遠レンズを装着して、
ロケットから8キロ離れたプレス席で打ち上げを待った。
打ち上げのカウントダウンが始まると、
回りのせっかちなカメラマンたちの
シャッターを切る音がし始めた。
やがて、閃光が走り、ロケットは音もまく上昇を始めた。
回りのカメラマンたちのモータードライブによって切れる
シャッターの連続音が最高潮に達した時、
突然もの凄い爆音と爆風が記者席を襲った。
私も三脚に抱きつくようにしながら去って行くロケットを撮り続けた。
それからはアポロが帰還するまでヒマになるので
ニューメキシコの荒野を旅して歩いた。
ナバホ居留地、タオスプエブロ、リオグランデ、荒野である。
ギャロップではインディアンの祭りが開かれていた。
ルート66を幌馬車を連ねてやって来るインディアンたちを
夢中で撮影したものだ。
仕事の後半は再びヒューストンだった。
始めて人類を月に送り届けたサターンロケットの生みの親で、
第2次大戦でロンドン市民を震撼させた
ドイツのV1.V2ロケットの生みの親でもある
フォン ブラウン博士の記者会見が満月のもとで行なわれた。
その撮影を最後にニューヨークに戻り帰国した。
それから10年ほど経った春、
ネバダの荒野を旅する事になるのだが、
その時出会った小さな町、酒場、人々 そして道
そのときの写真を見る度に「またおいで」と囁きかけて来る。
今回の旅の動機だ。
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まいどです☆ (水曜日, 06 12月 2017 11:48)
広いですね...
いろんなものがそれぞれ
ひとつひとつかがやいているみたい☆
今の便利な時代では
感じられないわくわく☆