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一本の桜

永遠とも思われる時間、僕たちを包み込むようにおおいかぶさる桜の見事な枝の下で、

ひらひらと舞う花びらを眺めている時の幸福感をどのように表現したらいいのだろうか。

毎年このお宅の花見に誘われる度に思う事だ。

ここの主である画家は昔パリを描いていた。

一度パリのお宅へお邪魔したことがあった。

その時、ヨーロッパ製の小さな車でパリの周辺を走り回って案内していただいた思い出は

どの外国へ行ったときよりも素晴らしく、その陶然とした気分は今でも思い出す。

やがて画家は帰国して中央林間に居をかまえた。

 

この桜のお宅だ。

 

それから40年は過ぎただろうか、

いつのまにか庭の八重桜が容姿を誇り出した。

 

それから毎年春になると花見大会は欠かさず行なわれている。

 

 

 

3年前、画家は亡くなった。

 

いつもなにがしらかの影響を与えてくださった

ひとである。

花見で知り合った素晴らしい人も両手で数えきれないほどだ。

そんな素晴らしいお宅も残された未亡人にとって、維持して行くことの体力的な限界を

感じている。

 

近いうちにこの家を出る事になった。

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コメント: 1
  • #1

    まいどです☆ (月曜日, 23 4月 2018 12:15)

    うっとりですね...
    動けなくなりそうな怖ささえ感じます。
    桜は儚いからこそ 記憶に鮮明に美しく永く残って広がって 
    ふいに思い出しては恋しくなるのでしょうか???